About my life of working and living internationally. Bilingual postings in English/ Japanese on my daily life, work, travel and more.
jeudi, janvier 31, 2008
言葉の壁
キャパシティ増加や持続可能性を考えれば、その方が良いのだかこれが大変。私はカナダ側からサイトの立ち上げを補佐する役回りで、改善の為の提案をしたり、モニターリングをしている。テクニカルなことということもあり、皆の意見やサイトのビジョンが違うので今のところまだ所謂All Over the Map。
時差と距離を隔てて、英語が母国語じゃない人達とこちらも英語が母国語じゃない私が、色々な人達を介してお互いのビジョンを伝えようとするのは難しいし、誤解が生じやすい。今週中には大まかなところができるはずだったのに、この分じゃいつ終わるのか....。
言葉と言えば、私の今年の目標はフランス語の作文能力を上げること。今週から週1で家庭教師に来てもらって勉強しています。今まで週1で学校に通っていたけど、仕事や他のことで行けない日が多くて段々嫌になってしまう。個人レッスンだと予定が変えられるし、もとを取ろうと思ってちゃんと勉強するかな~と思って。今週の宿題は、脳死についての作文。... そんな高度なトピックで書けるか甚だ疑問だけど頑張る!フランス語、もう何年勉強してるの~?って思うけど、今年こそは!!
lundi, janvier 28, 2008
取りあえずまとめ
大変な状況でも精神力と前向きに考えることでなんとか切り抜けられる。当たり前だけど、人間関係というものが一番大切で、これを大事にして何に対しても誠意をもって努力すれば、絶対私を理解して認め助けてくれる人がいるということ。これは友達だけに限らず。
生活の基盤というか、ある程度の快適さがないと生活していくのはしんどい。私の生活では色んなポケット(友達の輪や趣味、娯楽関係やちょっとした勉強)があることが息抜きになっていて、それが重要だということ。
時にはあきらめたり、現状を受け入れてその中でプラスのことを見つけられる能力も時として必要。マラウイでは辞めようと思えば辞められて、家族や友達に帰ってきなさいと何度も言われたけど踏ん張った。結果的に最後はプラスと出て我慢できる範囲内(?)だったけど、精神的に異常をきたす位の価値のある仕事なんてものは無いということ。
ガイアナやマラウイでしんどい思いをしたのに、まだ懲りずに開発セクターで働いている。やっぱりこの仕事が好きなんだろうなあ。今はオタワの快適環境でかつプロジェクトに関われるという状況なのに、段々物足りなくなっているのも事実。泣いたり、怒ったりしながらの生活と仕事、でもそれだけフィールド勤務は魅力があるということだろうか。それとも、のどもと過ぎればってやつなのか。
と取りあえずまとめ。また時間があればマラウイのことや今の仕事についても書きます。
mercredi, janvier 23, 2008
まだまだ
他の何とも比べられない程最高のことはやはり、仕事と出会った人達だと思う。2人のルームメイトがいなければ乗り越えられないことがたくさんあった。
派遣元の上司と揉めて、いい加減文句を言うのは止めて仕事をしてくれなどとひどいことをメールで言われた時、レイチェルが私はすごく一生懸命働いていて職場の同僚達もそう思っていることを保証できると弁護するメールを送ってくれた。嫌なことがいっぱいあったけど仕事のことで泣いたのはそのメールを読んだ時だけだった。しかもそれは、どちらかと言うと嬉し感激の涙だった。後は泣いたと言うより怒っていたことの方が多かったから。
私達3人は歳がみんな1こづつ違い近いので、悩みは似たようなもの、将来のことや恋愛関係のことをお互い相談して励ましたりもした。カナダに住んでいても友人のほとんどは移民や典型的な白人カナダ人じゃない人なので、2人のカナダ的なPerspectiveはある意味新鮮だった。
3人で替わりばんこに夕食を作って、メキシコ料理の好きな二人の為に私はトルティア代わりのチャパティをよく焼いてあげた。レイチェルは途中で帰ってしまったけど、その後もヘレンと私は仲良く暮らしていた。仕事帰り間際にテキストメッセージを送り合い、今日の晩御飯やスーパーで何を買ってきて欲しいのかやり取りしていたので、お互いをMy Wifeと冗談で呼んでいた。
職場でも良い同僚に恵まれた。さよならを言うときは悲しくて涙が出た。ジェンダー委員会のメンバーに帰る前にメールでお礼を言ってくれた。ほめる文化じゃないマラウイで、よくやってくれてありがとうと言われることはとても嬉しかった。外国人としてなるべく上から物を見た言い方をしないように参加型開発を身を持って実践して良かったと思った。
mardi, janvier 22, 2008
続き
街がすごく小さいくてあまり行くところがない。首都と言ってもリロングウェは本当に人工的に政治の中心を移しただけなので、南部にあるブランタイアと比べるとガランとしている。買い物できるところもあまりないし、週末に遊びに行けるのはホテルのプールぐらい。車がないと遠出もできない。文化的な公演とか音楽のコンサート等はほとんどなかったので、美術館に行ったりするのが好きな私にはきつかった。
もう一つの問題は交通。マラウイはタクシーがあまり発達していない。ガイアナには電話すれば来てくれるディスパッチの番号があったが、マラウイは、まともな運転手がいれば電話番号を聞いておいて、そのストックの中から根気良く順ぐりに電話しなきゃいけない。電話すると、え、今日は僕働いてないからとか言われたり、今すぐ行くと言われても30分以上待つことも。なので夜に車のある友人なしで出かけるのはリスキー。帰る手段の保証がないから。
これはガイアナでも少し感じたけど、友達のサークルが狭く息苦しくなるときがある。カナダや日本だと友達がたくさんいるし、一人で趣味のクラスを取ったりできる。でも、途上国だと仲良くできる人のプールが小さいし、いつも団体行動。たまには違うコミュニティの人と会いたいなあと思ったこともある。
良かったこと
外食できるところがたくさんあったこと。毎週末、ルームメイトや友人とレストランに行っていた。特に好きだったのは、旧市街に(当時)あったインド料理屋。ここはいつも空いていて内装が笑えるくらい“ダサい”でも味はよくてメニューがすごく分厚く値段もお手ごろ。一人15ドルほど出せば食べきれないほどカレーやビリヤニライスやガーリックナンが食べられる。他にも外国人向けのブティク(!)やバーがあるコンプレックス内にあったレストランもかなり通った。ここの敷地内にスタジオがあり、私とヘレンはエアロビのクラスに週2回行っていた。
日本人がいたこと!日本の某政府系援助機関はマラウイのプログラムが大きいので、日本人の職員、専門家やボランティアの人がたくさんいた。中でも同じ教育省に派遣されていた日本人の専門家の方にはとてもよくしてもらって、職場でお茶を飲んだり、自家栽培の野菜を頂いたり、仕事の悩みなどを聞いてもらいました。他にも数人仲良くさせて頂いた方があり、イベントに招待してもらったりして楽しかった。日本語で話せるのと、違うグループとの付き合いというのが世界が広がってとても良かった。
続く...
City
Lilongwe is small and there isn’t much to do. It is a capital city of the country but only the political centre has been moved. Compared to Blantyre which is in the South, Lilongwe feels like just an extended village. There are not many stores, and without a car only choice of activity for weekends is going to a swimming pool in a hotel. I really like cultural activities, such as seeing a live performance or going to a concert, so it was boring not to have these opportunities in town.
Transportation
The taxi system is not as developed in Malawi. In Guyana, I could call a dispatch number, but such thing doesn’t exist in Malawi. If I meet an OK driver, I take down his number. When I need a taxi, I have to patiently call each driver on my reserve list. Drivers would sometimes tell me “I am not working today”, or in some cases they will take more than 30 mins to come pick me up. It’s risky to go out at night without a friend with a vehicle. No guarantee for a means to get home…
Small circle of friends
I felt more or less a same way in Guyana. In Canada or Japan, I have different groups of friends. However, groups of ex-pats are often small in these countries, and you hang out with the same people all the time. This gets stuffy.
What I liked:
Relatively many options for eating out
I would go to restaurants every weekend with my roommates and friends. I particularly liked one Indian restaurant in the old town. This place was always empty and the decors were just so tacky. But, they had a great selection of curries and I could eat as much curries, appetizers, Biriyani rice and garlic Nan bread as I want for about 15$. There was also another restaurant in a complex which had boutiques for ex pats. Helen and I were taking aerobics classes in the studio in this complex.
Japanese people!
Certain Japanese aid agency has a large program in Malawi, hence many Japanese people. I got very well aquatinted with a specialist placed in the MOE. I would visit him in his office and he would offer me a cup of tea. He kindly listened to my problems and gave some insight. He even brought me vegetables from his kitchen garden. I had a few other people that I saw regularly. It was great to be able to speak Japanese and have a different group of friends.
mardi, janvier 15, 2008
Why was it was so..?
Looking at last year’s entries, I was surprised how little I wrote. In Guyana, I was home before 4, and I had an internet access at home. I didn’t have a TV, so there was lots of free time to read and write diaries. On the other hand, in Malawi the (official) work hours was from 7:30 to 5, and I come home exhausted. I cook, eat and chill out in front of TV for a couple of hours, and it’s already a bed time. On top of that, I had some difficulties at work, and I wasn’t too keen on writing.
In Guyana, I had a tough time also at work, but I had some time to reflect on the experience and write about it. It’s been a while since I returned from Malawi, but I would like to reflect a bit.
As the saying(?) goes All’s well that ends well, I was happy with my placement at the end despite all the problems that I encountered. There were several reasons why it was so hard.
Life in General
Security
The general security of the country is better than Guyana, but we almost got broken into twice. If dogs bark at night, I would wake up and peek through the window thinking that some people may be trying to break-in.
Employees
We had house employees. We were paying more than the local average salaries, but they are still around 50-60$ a month. Felt like we are exploiting them. Then again, they would ask to borrow money for fertilizers at the time of planting maize, ask for a raise and tell us to buy new equipments to replace broken ones. It felt like we were constantly spending money. Once, our gardener was neglecting his job. We considered letting him go after discussions and discussions. Finally, we got scared and kept him.
Living with other people
I have to say there were more positives than negatives for this, but off course there were some drawbacks. I always had to make financial decisions jointly with people who may not have exactly a same value about different purchases etc. For example, I had no intention of getting a TV and a satellite, which I considered too much of a luxury. However, I gave in, going with the majority. (I have to admit that I enjoyed having a TV, though!) We never fought over house chores since we had a housekeeper person.
去年のブログを見ていたら、ガイアナの時と比べてエントリーが少ないのに驚いた。ガイアナではほぼ毎日4時には家に帰っていたし、家でネットができた。しかもテレビがないので本を読んだり、日記を書く時間が多くあった。その反対にマラウイでは朝7時半から5時まで(一応)の勤務時間で、毎日ヘトヘトになって帰ってくる。家で夕食を作り、テレビを放心状態で2時間も見るともう就寝時間。あと上司と揉めたりなんなりとゴタゴタが多かったので、ブログを書く気になれなかったというのもある。
ガイアナでは派遣先で苦労して、経験のまとめみたいなものを書いていたが、マラウイではその機会がなかった。その辺、帰国してもう随分経ってしまったけどReflectするためにも少し書いていこうと思う。
マラウイは、終わりよければすべて良しと言うけど、正にそうですっごくしんどかったのに良い経験だったと思えるように終わった。なんでそんなにしんどかったと言うと色々と理由がある。
生活面
治安はマラウイはそこまで悪くはないが、2度も強盗に入られそうになった。毎晩、寝ている間に犬がほえていると、あー今入られようとしているのかなと気になり窓の外をそっと覗いたりすることも度々。
家に従業員がいたこと。人を雇うと言うのは気を使う。しかも現地基準以上の給料を支払っていても、1ヶ月何千円のレベルでその不公平さに申し訳なく感じる。でも、向こうからメイズを植える季節だから肥料代を出してくれとか、給料をあげろ、これが壊れたので買ってくれと言われるとどうして良いのかわからずかなりストレスが溜まる。それでしょっちゅうお金を使う(ような気?)ことになる。ちゃんと働いてなかった、庭師のお兄ちゃんを解雇するかどうかルームメイトと話すに話し合った結果、二人ともびびって解雇できなかった。
共同生活
もちろん良い面の方が多かったのだが、価値観等が多少は違う人と、家財道具や食料の購入などお金が絡む決定をするのが疲れた。例えば私は地味な生活に慣れているので、始め衛星テレビをつけようと言われた時はえーっそんな贅沢なと思ったけど、多数決なのでOKした。これはこれで楽しめたのだけど。お手伝いさんがいたので掃除のことなので揉めたことはなかった。
lundi, janvier 14, 2008
去年を振り返って。
マラウイでの仕事は山あり谷ありだったけど、最終的には軌道に乗った。契約を延長するしないという話になって、結局は戻るのを止めてしまった。やりかけた仕事を途中で放り投げるような後ろめたさもあったけど、充実感があった。まだ帰りたくないと思いながら、惜しまれながら帰国するのは大変喜ばしいことで、最初の2,3ヶ月にどんなに帰りたかったかを考えれば予想もできないことだったと思う。ただ3月に帰国した時はしんどかった。丸2日かかるフライトと時差ぼけ。暑い国からまだまだ寒さの残るカナダに帰って、冬服はないし、帰るべき人もいない。極めつけにジョブレス。と一つ個人的に悲しいこともあり、かなり落ち込んだ。でも、友達の助けもあり体力は2週間で心は3日で立ち直り、はや仕事探しを始めた。短い契約を渡り歩いている私にとって、就職活動は慣れている。とは言え楽しいものじゃない。毎日コンピューターの前で履歴書とカバーレター作り。留守電のライトがチカチカしているとドキドキするし。段々経験を積めば積むほど仕事探しが楽になるというのは本当で、1ヶ月ほどでバタバタと面接のお知らせが入り、今の仕事が決まった。大学院終了時から念願のカナダNGO勤務!これも過去4年ほどこれに焦点を絞り、一般企業、カナダの地域NPO、ガイアナでのインターンシップでマラウイと計画的かつ行き当たりばったり(!)でつなげてきたお陰だと思う。
新しい仕事へのトランジションは比較的楽だった。最初は週4日のポジションとして始まったのとあまり忙しくないこと、周りの人達が親切なこと。今回初めて保健関係のプロジェクトを担当し、しかも地域は旧ユーゴの国とバラエティに富んでいる。下っ端のポストだけど取りあえず勉強できるところは勉強させてもらおうと思った。CIDAのプロジェクトなのでその辺も学べるので、これからカナダの開発業界でやっていくには重要なことだと思う。私は主にスタディツアー等の担当なので、バルカンから来たたくさんの人達と知り合えて楽しかった。
8月に初めてアパートを借り一人暮らしを始めたのはハイライトの一つだったかもしれない。アパートハンティグもろくにしたことなかったので、一人で決めてから不安で友達に窓の外から見せてOKかどうか聞いてしまったほど。家具を買い、家財道具を買いアフリカの物を飾り、元々インテリアが好きなのですごく楽しかった。(お金はかかったけどね)なぜか初めてのカウチは特に感激で、仕事から帰宅し、夕食後に、これが私のソファなのね~と思いながらまったりするのは至福の時。リビングが独立したアパートなので、合計友人が3人と妹2人が泊りがけで遊びにきてくれた。餃子パーティーもしたし、人と住んでいたときより格段料理が楽しくなった。
仕事は暇なときはすごく暇なのだけど、週の間にボランティアでやっている理事の会議があったりフランス語のクラスやジム、そしてたまに講演会など聞きにいったりするとすぐに1週間おわっちゃう。
今年はまた仕事で生活が動くかもしれない。なのでそれまでは、こののんびりオタワ生活を満喫するつもり。